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今日はイタリアの美術について書こうと思います。
イタリア美術は、イタリアの歴史的背景から、ギリシア、エトルリア、ローマ文明の影響がどの時代にも表れています。
また、北はアルプス、南はシチリアという、外部からの影響を受けやすい地理的条件から、様々な美術表現が入ってくることとなり、たくさんの都市が美術の中心地となります。
4世紀にローマ帝国の中心がローマからコンスタンティノープルに移った後、ラヴェンナは西ローマ帝国の首都となり、ビザンチン文明の中心となります。
宗教建築が中心で、地味な煉瓦造りの外観からは想像のできない豪華なモザイク芸術が内部に広がります。
中世
中世のイタリア では、たくさんの宗教的建築物が建てられます。
オリエント様式の影響を強く受けていたロマネスク建築は、12世紀ごろからプロヴァンス、ノルマンの影響を強く受け、北部から中部を中心にロンバルディア様式という新しい様式の建築形式が台頭します。
ミラノ、パヴィア、ヴェローナなどに見られ、円天井の大きな教会に帯状の装飾や小さなアーケードがあります。
また、ロンバルディア様式とオリエント様式の両方の影響を受けてピサのロマネスク様式が生まれ、ファザード(正面)には小さなアーケード、小円柱、背の高い装飾アーチが並び、大理石で作られた菱形や寄木細工の装飾が施されています。
また、フィレンツェでは独自の様式が見られ、古代美術風な装飾と白と緑の大理石を組み合わせた装飾が特徴的です。
ラツィオ州からカンパニア州の中南部では、コスマーティと呼ばれる大理石装飾の技術者集団があり、彼らによって教会などに大理石や象眼を使った装飾が施されています。
南イタリアでは、様々な様式が混交し、シチリア・ノルマン様式が生まれます。
装飾はロンバルディア、サラセンの影響、建物の様式や配置はノルマンの影響を強く受けています。
そして、12世紀には修道士達、フランチェスコ会がアッシジ、ドメニコ会がフィレンツェにゴシック様式を持ち込みます。
しかし、他のヨーロッパ諸国に比べてイタリアではゴシック様式はあまり広まらず、シエナなどではブルゴーニュ様式の影響が残っていましたが、ボローニャのサン・ペトローニオ大聖堂、ミラノ大聖堂に用いられて以後終結していきます。
絵画では、ビザンチンの厳かな雰囲気が緩和され、ローマでは13世紀にピエトロ・カヴァッリーニが古代を思わせる表現法でフレスコ画等を描き、フィレンツェではチマブーエ(1240-1302)がアッシジの教会に豊かな表情の壁画を描きます。
それを発展させたのがジョット(1266-1397)で、動きがあり、感情が豊かに表現された作品を描きます。
シエナでは、シエナ様式というビザンチンの影響を残す絵画表現が生まれ、ドゥッチョ、シモーネ・マルティーニ、ロレンツェッティ兄弟が活躍します。
彫刻では、ピサーノ父子、アンドレア・オルカーニャ、アルノルフォ・ディ・カンビオが活躍し、人間味溢れた作品を多く作ります。
15世紀
メディチ家を中心とする文芸庇護者が統治し、芸術家、学者達が活躍します。
建築では、フィリッポ・ブルネッレスキ(1377-1446)が古代建築の原則に基づいた建築物を多く建てます。
絵画では、マザッチョ(1401-1428)が、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会に透視遠近図法を使った人間味溢れるフレスコ画を描き、ルネサンス絵画の始まりとなります。
同時期にフラ・アンジェリコ(1387-1455)がゴシック様式からルネサンス様式の絵画に移っていき、その弟子、フィリッポ・リッピ(1406-1469)がそれを発展させ、新しい様式を取り入れた優美なラインの絵画を描きます。
フィリッポ・リッピの弟子、サンドロ・ボッティチェッリ(1444-1510)は、神秘的で優美な絵画を描き、ルネサンスを代表する画家の一人となります。
その弟子、アンドレア・デル・カスターニョ(1423-1457)はたくましい肉付き、壮大さを強調していきます。
また、ドメニコ・ギルランダイオ(1449-1494)、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412-1492)もこの時代に活躍します。
マントヴァでは、アンドレア・マンテーニャ、ヴェネツィアではベッリーニ一族、カルパッチョなどが活躍します。
彫刻では、ロレンツォ・ギベルティ(1378-1455)が、フィレンツェの洗礼堂の扉の彫刻をし、ルネサンス期に入ります。
ドナテッロ(1386-1466)、ルカ・デッラ・ロッビア(1400-1488)が彫刻家として活躍します。
16世紀
この頃、ルネサンスの中心がローマへ移ります。
建築では、ブラマンテ(1444-1514)が、ウルビーノ、ミラノでの仕事を経てローマへ移り、サン・ピエトロ大聖堂の設計をし、ローマ建築の牽引をしたり、パッラーディオが古代の建築様式への回帰を進めます。
絵画では、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)、ラッファエッロ(1483-1520)、ミケランジェロ(1475-1564)が頭角を現します。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、スフマートというぼかし技法を考案します。
ラッファエッロは、優美な肖像画を主に描き名声を上げます。
ミケランジェロは彫刻家ですが、バティカンのシスティーナ礼拝堂の天井画を描き、画家としての才能も素晴らしく、マニエリスムの源流となります。
その他、この時代にはフィレンツェのアンドレア・デル・サルト、ブロンズィーノ、パルマのコレッジョ、ミラノのベルナルディーノ・ルイーニ、ヴェネツィアではジョルジョーネ、ティツィアーノ(1490?-1576)、ティントレット(1518-1594)、ヴェロネーゼ(1528-1588)が活躍します。
彫刻では、フィレンツェ、ミラノで活動したミケランジェロが圧倒的な活躍を見せます。
ルネサンスが終わり、一つのモチーフを誇張した特徴的な描き方をするマニエリスムは、バロック様式へとつながっていきます。
イタリアでは、トレント宗教会議におけるカトリック教会の反対によってマニエリスムは抑圧され、ポントルモ(1494-1556)、ロッソ・フィオレンティーノ(1494-1540)、パルミジャニーノなど、このマニエリスムの画家は不安や焦りの表現から奇妙な姿勢や引き延ばしをした描き方をします。
建築では、1588年に建てられたローマのジェズ教会がバロック様式の原型となり、豪華で壮大なその様式は、サンピエトロ大聖堂(1614)のファザードに表れています。
彫刻では、噴水の設計や、多数の彫刻を作ったベルニーニ(1598-1680)がいます。
絵画の舞台で、マニエリスムまでの理想主義を根本的に変革したのがカラヴァッジョ(1573-1610)です。
光と影のコントラストによってドラマティックに、現実的に描かれた作品は、イタリアの外でも継承され、カラヴァッジェスキと呼ばれます。
現代
19世紀前半までに、ネオクラッシシズム(新古典主義)を代表する彫刻家アントニオ・カノーヴァ(1757-1822) がいます。
18世紀後半からは、それまでのイタリア美術と異なり、現代イタリアアートを感じさせる作品が多くなります。
20世紀に入ると、未来派と呼ばれる前衛的な芸術家集団が生まれます。
ジョルジョ・デ・キリコ、モディリアーニ、ジョルジョ・モランディが活躍します。
室内装飾では、カルロ・スカルパ、ガエ・アウレンティが活躍します。
美術に興味のなかった学生の頃は、試験勉強のためにここに調べて書いたことを覚えるのがとても大変でしたが、興味のある今は、歳とともに記憶力は衰えてきていますが、頭の中にはいやすくなったように思います。
美術品を見る前に少し知識を入れておくと、視点が変わることがあったり、新しい発見があったりするので、背景などを知っておくようにしています。
読んでくださりありがとうございます。