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イタリアの映画

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今日は、イタリア映画について書きたいと思います。

 

イタリア映画は、20世紀の初めにトリノで誕生します。

ローマではチネチッタ(1935)、国立映画実験センターCentro Sperimentale di Cinematografiaという映画学校が建設され、ロベルト・ロッセッリーニ(1906-1977)、デ・サンティス(1917-1997)もここで学びます。

ファシズム時代は現実離れした作品が多く作られましたが、その後、現実の生活をしっかりと映し出す映画を作る、ネオレアリズモ(新現実主義)と呼ばれる動きが出現します。

ロッセッリーニは、「無防備都市Roma,citta` aperta」(1945)、「戦果の彼方Paisà」(1946)、「ドイツ零年Germania anno zero」(1948)、ヴィットーリオ・デ・シーカは、「靴磨きSciuscia`」(1946)、「自転車泥棒Ladri di Biciclette」(1948)、ジュゼッペ・デ・サンティスは、「にがい米Riso amaro」(1949)、「血の復活祭Paqua di sangue」(1950)をそれぞれ制作し、失業と貧困に苦しむ戦後のイタリアの現実を表現しました。

しかし、人々は悲惨な戦争とその生活を早く忘れ、新しい時代の到来を願うようになり、ネオレアリズモは次第に弱まっていきます。

60年代に入り、イタリア映画は数もたくさん発表され、質もとても高いものになっていきます。

フェデリコ・フェッリーニ(1920-1993)は、「道La Strada」(1954)で頭角を現し、「甘い生活La dolce vita」(1960)でカンヌ映画祭でグランプリを受賞し、「8 1/2Otto e mezzo」(1963)、「アマルコルドAmarcord」(1976)を制作します。

ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)は、「情事L’Avventura」(1959)、初めてのカラー作品となる「赤い砂漠Il deserto rosso」(1960)を制作します。

ルキーノ・ヴィスコンティ(1906-1976)は、「若者のすべてRocco e i suoi fratelli」(1960)、「山猫Il Gattopardo」を発表します。

その後、エルマンノ・オルミ(1931-2018)、ベルナルド・ベルトルッチ(1941-2018)など、新しい映画監督が登場し、1970年代までイタリア映画は素晴らしい作品が多数発表されます。

1970年半ばからは、テレビの普及により映画は下火になってしまいますが、ベルトルッチ「ラスト・エンペラーThe Last Emperor」(1987)、ジュゼッペ・トルナトーレ(1956-)「ニュー・シネマ・パラダイスNuovo Cinema Paradiso」(1989)、マッシモ・トロイージ(1953-1994)「イル・ポスティーノ」(1994)、ロベルト・ベニーニ(1952-)「ライフ・イズ・ビューティフルLa Vita e` bella」(1997)、21世紀に入ってからは、ナンニ・モレッティ(1953-)「息子の部屋La stanza del figlio」(2001)、パオロ・ソッレンティーノ(1970-)「グレート・ビューティー/追憶のローマLa grande bellezza」(2013)など、偉大な作品が制作されています。

イタリアでは、ヴェネツィア国際映画祭が1932年から開催されています。

世界的に重要な映画祭の一つで、金獅子賞Leone d’Oroを授与し、毎年8月末から9月初めにかけて開催されています。

 

 

以前は映画を見ることはほとんどありませんでしたが、今は家で映画を見ることが趣味になっているほどイタリアの映画が好きです。

映画館も子連れだと行きにくい場所のひとつで、クラシック・コンサートと同様に娘たちが大きくなったら行ってみたい場所のひとつです。

 

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